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10
2016

うすた京介漫画賞に応募しました

オペボーイホネツグ - 少年ジャンプルーキー
http://rookie.shonenjump.com/series/FlR8CfEIcTA

 何年ぶりだろうか、いやある意味初めてに近いと言っていいほどまともに(かつ不真面目に)オリジナルの漫画を描いた。
この数年の間にアシスタントの仕事にも多少は慣れて、クリスタの使い方や背景もそこそこになってきたのだが、
ここはペンと紙でオッスオラいっちょやってみっかってことで頑張ってみた。
しかしこれがなかなかどうしてやはり難しく苦労の連続であった。(仕上げはデジタルでやった)

描けば描くほどハッキリいってアナログで描くメリットは殆ど感じられないと痛感したわけだが、
なんといっても「楽しい」ものである。グイッっときてキュッとくる感じ。たまらない。

そもそもは今後の練習用も兼ねて、まずはシンプルな絵柄の栄えるであろうギャグをちょろっと描こうと思ったのがきっかけ。
以前からネットで話題になっていた「スーパーくいしん坊」にヒントを得て、俺が子供のころに流行った、
「ゲームセンターあらし」や「ファミコンロッキー」などの「トンデモバトルもの」(勝手にこう呼んでる)を描こうと思った。
同時に「手術」という題材を思いついたので、これでいこうと。

「手術」×「バトル」の図式が決まってからはどんどんとネタが浮かんだ。
色々とありすぎて、やや詰め込みすぎになってしまい、削るのに大変難儀した。
それでも増えようとするページ数にネタをぎゅうぎゅうに詰め込み、ひとつひとつのネタをあまり濃く
描けなくなってしまった感もあったが、反面テンポの良さは表現できたような気もする。これは今後も
悩みどころとなっていくのだろう。


……以下、色々と気にして描いたところ↓

今回は……というか、そもそもの自分の作風的なこともあるのだが、「ツッコミ」をほぼ廃した構成にした。
理由は幾つかあるのだが、まずひとつは「小学生がストリートで普通に手術をしており、それを誰もたいして不審に思わない」
世界観であることをキーとして話を広げていったので、そこでツッコミキャラを登場させると、しまいには救急車だの
警察だのを呼ぶハメになってしまい、せっかくのイカれた世界観が現実的になってしまうことを恐れたため。

もうひとつは「うすた京介」作品に対するアンチテーゼ的な意味合い。うすた漫画と言えば、ギャグ漫画界におけるツッコミの
地位を著しく向上させた作品ということに異論は無いとは思うが、以降、あまりにも多くの「うすた型ツッコミキャラ」を世に
氾濫するようになったと思う。「うすた京介漫画賞」でありながら、いや、だからこそ同じスタイルで挑むことは得策とは
思えなかったのだ。

最後。なんといってもツッコミは「読者」にしてほしいのである。これが一番の理由。
手の甲が真っ赤になるほどツッコんで頂ければこれ幸いでございます。
「笑いは皆で作るものです!」とベテランお笑い芸人も言っていました。……山崎邦正が。


絵柄に関しては先にも述べた「スーパーくいしん坊」のビッグ錠先生スタイルを踏襲させて頂いた。なにかとネタにされる
ことの多いビッグ錠漫画ではあるが、よくよく観察するとその描写力には驚かされるばかりである。
隅々まで行き届いたトーンに頼らない描き込み、コマ内を埋め尽くし、誰一人と同じ顔がいないとさえ思える程の
モブの描写、勢い抜群のコマ運びや描き文字等……単に芸風を意識しただけでなく、漫画技術そのものを沢山
学ばさせてもらった(当然遠く及びませんが)。ただひたすらに感謝であります。


そして最後まで何かと悩みに悩んだ「ゴア表現」。手術をネタにしたギャグバトルという、ネームを切っている時点で
不安感この上ない描写が盛り沢山であったのだが、もうこんなもんは勢いが肝心。やると決めたからにゃあ後には
引けないのである。
……とはいえ、やはりそこはそれ、完成が近づくにつれ不安は増すばかり。なにやら描写如何によっては
作品の掲載が見送られることもあるそうで(そりゃそうだ)。中には相当の修正を施した上で再投稿したものもあるようだ。
改めてネームを見直すが、そもそも手術をテーマにしてある以上「そういう」描写は避けられない。
問題はこれが「ギャグ」ということだが……。
「ギャグ」だからOKか、それとも「ギャグ」だからアウトなのか……色々と考え抜いた結果の描写も確認して頂ければと思う。

――で、結果としてはご覧の通り無事にそのまま掲載されることとなった。個人的な事としてもそうだが、
何かと表現についての問題が叫ばれるこのご時世。編集部の英断にはひたすらに感謝である。
自身でこの辺りの「ライン」を推測してみるのだが、ポイントはやはり「笑いになってるか否か」はなにかと気にした
ところである。オペバトルの患者の子供達がアフリカゾウに撥ねられるシーンも当初は大型トラックだった。
いくらなんでも生々しいかと思っての変更だったが、「破壊力」が落ちないように留意した。
恐らく一番の問題シーンであろうノコギリのくだりもモザイクにひと工夫を入れた。
あまりに多くの修正を入れることで却って生々しい感じになることを避け、あえてそのままにした箇所も
多いのだが、最終的にはこれは「賭け」だった。
これが見送りになれば、もう大人しく引き下がるしかない……、いや、ここはひとつガツンと言ってやらないと
ならないのではないか、等と悶々としていたが、本当によかった。もうこの事実だけで賞のことは忘れてしまいそうになる。


そんなどうでもいいメイキングもあったりなかったりの今作ではあるが、もうとにかく細かいことは気にせず笑って頂けた
のなら、これ以上の喜びはありません。めいいっぱいアホアホになりながら描いた44ページです。

「オペボーイホネツグ」、どうぞご賞味あれ!
01
2016

シン・ゴジラ

…これは凄い。凄いものを庵野監督は撮ってしまった。

あの庵野秀明がゴジラの新作を撮る。入り混じった期待と不安に対しての回答、
それはあまりにも力強く、輝かしく、そして誇らしいものであった。
久々に作り手の温度が伝わる、懐かしくも新しささえ感じさせる特撮感。
お馴染み庵野節がさえ渡るテンポ抜群の会話劇。

かつて「パシフィック・リム」を観た時を思い出す。「こんなもんを作られちゃあもはや敵わない」と唸ったことを。
このままでは日本映画の立つ瀬が無い、そんな思いも製作陣にはあったのだろうか、日本映画の意地と底力を見せつけられた気がする。

核開発や環境問題など現実に警鐘をならすメッセージを常に発信してきたゴジラシリーズであったが、
回を重ねる毎にそれも飽和状態になりつつあり、安易な対決もの路線に走ったりと食傷気味であったように思う。
そのことがシリーズの停滞に繋がったかどうかはさておき、
今作はそこから1歩先、「現代の日本」における有事を見事に、かつ不気味にシミュレートしている。

なにより、戦争・地震・津波・放射線……数多くの試練や災害を体験し、乗り越えてきた日本人だからこそできる描写、そして
伝わる表現。この迫真性は如何にハリウッドの優れたCG技術をもってしても及ばないのではないだろうか。

「現代の日本」がリアルタイムで抱える様々な脆さを描きつつも、その中にあって揺るがない日本人の「強さ」を描いている。
様々な困難を乗り越えてきた強さを。しぶとさを。この「強さ」は世界に誇っていい。

特撮について、「にわか」という冠さえも憚られる私ではあるが、
今現在のこの日本でこういった作品が観れることは大変喜ばしく、意義のあることだと思う。

ポリティカルサスペンス(というらしい)特有のやや難解でせせこましい台詞回しによって、特撮怪獣ものとしては
小中学生あたりにはいささか難しく感じる恐れもあり、脚本・ビジュアル・演出・配役、全てにおいて庵野監督特有のクセは存在するが、
それでも尚、是非とも多くの方に触れていただきたい作品である。



シンゴジラ 総勢328人というとんでもない数のキャストにも驚き。
尾頭ヒロミ役の市川実日子さんが素敵。常に眉間にシワを寄せていて可愛い!

11
2016

インデペンデンス・デイ:リサージェンス

高校生になり、自分達の足で映画館に通うようになった。
少ないこづかいをやりくりしながらも、家庭では味わえない圧倒的な臨場感を堪能する。
あの頃の作品はどれもそんな思い出のものばかりである。

前作「インデペンデンス・デイ」もそんな映画のひとつだった。

宇宙人襲来!皆で団結だ!やったぜ大勝利!……娯楽はこれでいい。20年経った今でもそう思わせてくれる傑作である。
アメリカバンザイプロパガンダ映画なんてレッテルを貼られ、イジられることもあるこの作品ではあるが、
そうした精神がこの突き抜けた娯楽性を生んだのだと考えると、やはりこれでいい、のである。

そしてエメリッヒ監督は「撮る気なんてなかった」なんていってる20年ぶりの続編「インデペンデンス・デイ :リサージェンス」。
とりあえず一言言わせて頂ければ「あ~やっちまったなぁ~」ってのが正直なところである。

そもそもあれだけ完璧に「落ちてる」前作。あれの続きを書こうとするならば、そらもう強引な後付ストーリーを覚悟するしかない。
もっと言うと作品の性質上「どういう結末なのか」なんてことも我々はうっすらと理解しているだけに、そんなこちらの期待なり予想なりを
越えてくることが求められるこの続編には相当なハードルである。

結果としてはそれらのハードルを越えてくる、と思わせてくれるような描写はほとんど見当たらず、隣のスマホを見まくる女の
ウザさにひたすら耐えながらの2時間であった。

大迫力のSFX、わかりやすいプロット、個性的なキャラクター等、多くの魅力に包まれた前作ではあるが、
ひとつポイントを挙げるとすると、全体を通して、ジェフ・ゴールドブラムとウィル・スミス、彼ら二人の優れたバディものとも言える
要素が組み込まれていたところである。性格や得意分野も正反対の彼らがタッグを組んで、宇宙人に立ち向かう姿に心ときめいたものだ。
また、彼ら以外にも様々な個性的なキャラクターが、シンプルなストーリーに彩りを添える。大統領や元飛行機乗りのオッサンの
光り輝くようなカッコよさには誰しもがワクワクしたことであろう。

残念ながら本作にはそうしたキャラクターの輝きがほとんど感じられないのが、なんといっても痛い。
なんやかんやと色々な人物が登場してはくるのだが、終わってみれば「アイツはなんの為にいたの?」なんて感じてしまう
キャラクターばかりだ。何気に登場人物の数だけは多いだけに、意識が無駄にバラついてしまい、限りなく水で薄めたスープを
延々と飲まされている気分に陥ってしまう。

新時代のSFXのパイオニアとして当時その名を馳せたエメリッヒ監督。確かに大きなスクリーンや3Dで鑑賞すればそれなりの
迫力なのであろう。しかしながら、現在となってはどのシーンもさしたる驚きも感じられなくなってしまったのは、
様々な映像に見慣れた我々にも原因があるのだろうか。なんとも寂しい話である。

昨今のハリウッドSF作品にはおなじみとなってきた「アジア推し」も健在。これを国際的と見るか否かは意見の分かれそうな
ところではあるが、宇宙開発には少なからず寄与している我が国の存在感が感じられないのももどかしいところだ。
もっとも、これら大規模な撮影が必要とされるハリウッド作品をストレス無く製作出来る環境が整っているとは、
とてもじゃないが言えない。言葉の壁等もあり、問題は多そうだが、いつかスーパーヒーローや宇宙人が日本の都市で
大暴れする映像を見てみたいものである。

聞けばこの作品、なんと更なる続編もうっすらと検討されているそうである。あれほど続編に否定的であったエメリッヒ監督。
一体何が彼をそうさせてしまったのだろうか?

もしかして彼も宇宙人に精神を……!?これはもうMIBに来てもらうしかあるまい。

ウィル・スミス 彼が出なかったのも痛いところ。

07
2016

いい腕だな。名前は?

 唐突ではあるが、やはり「ロボコップ」はいい。
マイ・ベスト洋画をチョイスするならば確実に2位には入る。ちなみに一位は「コンタクト」だ。
2位じゃダメなんですか?いや、2位でいい。

最近は数年に一度開催されている「己の絵力見直す大会」が絶賛開催中なのだが、
色々と引き出しを増やすためにSF的なモチーフもよく描くようにしている。

そこへくるとこの「ロボコップ」のカッコよさときたらもう。そらもう。
マッチョさをイメージしつつもメタリックなクールさを兼ね揃えた、魅惑的なマッシブボディ。
いい。実にいい。俺がサイボーグに生まれていれば間違いなく、彼のピンナップで自慰をしていたことだろう。

この映画の凄いところは、「悪役がガッツリと悪役しているところ」にあると思う。
映画に限らず、漫画でもアニメでも悪役の重要性は高い。
しかし、多くの名作と呼ばれる作品において、彼らはただの主人公の噛ませ役というだけではない。
おちゃめだったり、ちょっと抜けてたり、意外と共感できる思想があったり、そのキャラクターを強く主張している。
バットマンのジョーカー、アベンジャーズのロキ、ジョジョの吉良吉影……。
敵だといってそう簡単に憎めない。それがいい悪役の条件だったりもする。

ロボコップは違う。この作品に登場する悪役=犯罪者は、そらもう目を覆いたくなるほどの極悪非道の限りを尽くす
根っからの悪党である。この映画を観た者ならば、誰もが開始数分の間で彼ら犯罪者軍団に心の底から憎しみを抱くことだろう。

この徹底さ具合が、翻ってロボコップの魅力を増大させる。自慢のオート9をぶっ放し、たまりに溜まった鬱憤が砕け散る。
いい。実にいい。

ロボコップ


ヘルメット

最近はこういうメカの練習もしている。引き出しの多さがダイレクトに要求されるので、いい練習になる。
少しでも既存のものとかすらないように意識したいところではあるが……難しいものである。

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